志田焼の里博物館で、昔のものづくりに触れる

佐賀・長崎 やきものの産地を訪ねて|第3話
別の日に訪ねたのは、佐賀県嬉野市塩田町にある志田焼の里博物館です。かつて志田焼を作っていた工場を保存・公開する施設で、原料の石から器ができるまでの工程をたどりました。

工場は1914(大正3)年に丸志製磁工場として創業し、1984(昭和59)年に操業を終えました。煙突のある建物も残っていて、工場として使われていた頃の面影がありました。
茶碗やお皿ができるまでには、陶土づくり、成形、乾燥、絵付け、釉掛け、本焼きと、いくつもの工程があります。館内では、かつての工場に残る設備や道具を見ながら、その流れをたどることができます。
陶石を砕き、器の原料に

館内には、大小の天草陶石が集められていました。熊本県天草産の陶石で、細かく砕くと粘りが出て、鉄分が少ないため白い素地になる、磁器の原料です。
志田地区では、18世紀半ば頃から天草陶石を使った磁器づくりが始まりました。
そこから、器の材料となる土をつくる「陶土づくり」の工程へ。陶石を砕くための設備が残っていました。動いていた頃を想像すると、迫力のある作業だったのだろうと感じました。

硬い石を細かくし、成形に使える材料へと整えていく、器づくりの最初の工程です。
形をつくり、乾かす
陶土づくりの次は、器の形をつくる成形です。

成形場には、ロクロや石膏型などの道具が残っていました。丸い形をつくるロクロのほか、型を使うことで複雑な形もつくることができます。並んだ型や設備を見ると、器の形に合わせて道具を使い分けていたことが分かります。
形ができたら、次は乾燥です。館内には器を並べる棚があり、屋外には天日乾燥場も残っていました。

成形した生地は、乾燥するにつれて縮みます。特に大きなものは均一に乾かすことが難しく、途中で割れてしまうこともあったそうです。乾燥による収縮が落ち着いてから天日に干し、十分に乾かしていました。

器は、形をつくってすぐに焼けるわけではなく、十分に乾かすことも大切な工程だったのだと分かりました。
器に絵を描く
乾燥させた生地には、絵付けをしていきます。この工場では素焼きをせずに作られていました。
絵付け場では、手で回す小さなロクロに器を置いて作業していたそうです。模様の輪郭には、ゴム判や、和紙に炭で下描きした「手頭(てがしら)」も使われていました。

近くには、FeやCoなどの記号が書かれた絵付けの見本もありました。絵具には鉄やコバルトなどを含む原料が使われていて、器に描かれた色にも材料の違いが関わっていることを知りました。
釉薬を調合し、器に掛ける
釉掛けに使う釉薬を準備していたのが、釉薬調合場です。大きな甕が並んでいました。

ここでは、対馬産の対州長石を主な原料に、石灰を少量加えて釉薬を調合していたそうです。この工場では、透明な白釉と青磁釉が作られていました。
絵付けを終えた器には、釉薬を掛けます。釉掛け場には桶や道具が残っていて、器を釉薬に浸して掛ける作業の様子が分かりました。

石炭窯で焼き上げる
最後は、窯で焼き上げる本焼きです。

煉瓦造りの石炭窯は、昭和29年頃に築き直され、昭和50年代まで使われていたそうです。窯床面積は24平方メートル、高さは3.7メートル。約1300度の高温で、何日もかけて器を焼いていました。
窯の中に入ると、その広さを実際に感じることができました。ここいっぱいに器を詰めて、何日も火を焚いていたんだなと、当時の様子を想像しました。

外に出ると、煉瓦の煙突と工場の屋根が見えました。原料の準備から焼き上げるところまで、同じ敷地の中にそれぞれの仕事の場所が残っていました。
産地を訪ねて、見えてきたこと
有田では磁器の原料となる石を見て、波佐見では町とものづくりのつながりを訪ね、志田焼の里博物館では昔の工場に残る設備や道具を見学しました。
普段使っている茶碗やお皿が、どんな材料から、どのような工程を経て作られるのか。実際に産地を訪ねたことで、少し具体的に想像することができました。
佐賀・長崎のやきものの産地を巡った記録は、ここで一区切りです。
このシリーズを読む
この記事は、2015年11月に訪ねた際の記録をもとにまとめています。施設や現地の様子などは、現在と異なる場合があります。